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  1. 10:51 17th Oct 2011

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    衰退する日本の中で個人的努力は意味がないのか

    例えば、アフリカへの経済援助は何の役にも立たないという人がいる。曰く、政府が腐敗していて、悪徳役人の懐に大部分が収まってしまうからだと。あるいは、群雄割拠する軍閥たちがまるで税金のように人民たちから巻き上げてしまうからだと。あるいは、こうした人民自身の民度が極度に低くて、援助で送られた生産機械をあっという間に叩き売って、遊興費として費消してしまうからだと。

    こうした言い分はどれもなるほど正しい。だが、一方で、世界中の最高に良心的な人々がアフリカの貧しい人々を救おうという崇高な志をもって、今日もボランティアや募金活動に勤しんでいる。では、こういう人たちの行動は間違っているのだろうか?

    実は、これはこれで間違っていないのだ。歴史が結局、彼らの尽力のほとんどが実を結ばないことを証明したとしても、それでも間違ってはいないのだ。

    私たちは、不完全な現実を目の当たりにしたとき、何かの理想を心に抱く。そして、私たちの一部は、その理想を実現するためにただちに奔走を始める。ときにその奔走はマクロ的に観察したとき、到底結実し得ないものがはっきりしていることもある。だが、こうした奮闘を繰り広げている人たちは、すくなくともミクロ的に何かを改善しているのであり、その中から、傍観者が想像もできないような快感を引き出しているのだ。それを世界との関係性から得られるエロスと呼んでもいいかもしれない。結局のところ、すべてが無に帰すとしても、挑戦者はすでに十分な心理的報酬を得ている。

    マクロ的な立場から、「理論的に言ってコレコレの理由でこの試みはうまく行かない」と絶えずつぶやきながら何の行動も起こさない傍観者的な人々がいる。「宇宙にやがて終わりが来るならば、私たちが今日、何を成し遂げる必要があろうか」と言ってはばからない種類の人たちである。彼らは、たいていの場合実際正しい。だが、彼らは身をつんざくような虚無主義に悩まされることになる。

    なぜ間違っているはずのミクロ的奔走者が心理的報酬を得、正しいはずのマクロ的傍観者が人生の虚しさに苦しむのか。それは、結局のところ、マクロ的構造などというものは、人間の心が作り出した一種の虚構にすぎないからだ。何かが正しいと言ってみたところで、所詮、作り物の世界のなかのことだ、一種の恒真命題(トートロジー)にすぎない。

    考えてみるがいい。もっとも虚無的な傍観者でさえ、目の前を行き過ぎる美しい女性(あなたが女性ならイケメン)に一瞬でも心を動かされないだろうか。胸のときめきを覚えないだろうか。アドレナリンが分泌され心拍数が上昇しないだろうか。傍観者が如何に哲学的に完全な地位を占めようと努力したところで、この身体的反応こそが人間の本質に連なっている。これは、アフリカの救いのない世界でなお、献身的努力を続けるミクロ的奔走者に通じるのだ。

    だから傍観者は無駄なあがきをやめた方がいい。マクロという虚構の中で完全無欠の理論を構築しようという不毛な努力など捨ててしまうといい。

    たとえば、いまの日本で政治はなるほど絶望的であり、日本という国全体を見れば衰退は避けられないだろう。だが、私たち日本人一人一人がここで個人的な努力を重ねることは決して無駄ではない…上記のミクロ的奔走者の意味で。そうしたとき、私たちが個人的な幸福を得るには十分な量のエロスを世界から引き出すことができるだろう。やがて日本が滅ぼうとも、それが現実世界で私たちの望みうるすべてなのだ。

     
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