「限りなく日本人に近いアメリカ人」@__kiyoto__ さんの文章が今日もふるっている。
間違えてナンボ というブログエントリだ。
彼は的確に次のように指摘する。
学校教育[1]の最大の弊害、それは「間違えることに対する恐怖心を植え付けること」。
この傾向は、特にエリートとされる人々の間でこの傾向は顕著である。そりゃそうだ。エリートは、学校教育のシステムの中で、間違いを最小限にとどめてきた人たちだ。間違いが少ないからこそ、一流の大学に入り優良企業に就職できるのだ。途中であんまりミスが多いと落ちこぼれて、エリートコースから脱落することになる。
まさに私がこうだ。いままで、社会に働きかけることをまともにしてこなかったのは間違いを恐れていたから。
そこで彼はこう提案する
間違うことを恐れるなというのはカンタンだ。でも実行に移すのは難しい。明日から恐れるのをやめますと宣言すればすむわけじゃない。そこで、ぼくなりに自分の体験も踏まえて、どうやったらそれができるか考えてみた最良の方法はこうだ。
若い段階で外国で長期間(少なくとも1年間)過ごす。
私はカナダで4年間、その他の外国で3年間ほど過ごした。だから、彼のいうことは身にしみてよくわかる。弱者の立場が少しだけ理解できた。語弊を恐れずにいうと、言語が理解できない外国人というのは、ほとんど聴覚障害者のようなものだ。間違っても間違っても、多くの人たちが助けてくれるものなんだと感動した。傲慢な私の鼻を折ってくれる、貴重な体験だった。
それでもまだ私はかっこつけしいな部分がある気がする。少し「石橋を叩いても渡らない」ところがある。
現実に物事を成し遂げる人たちは、だいたいフライングでスタートする。だいたいうまくいきそうだという見通しは持っているけど、最初からすべてが見えているわけじゃない。当然、次々と問題が発生する。それを走りながら考え解決し、形を作っていく。
彼らは間違える。1回や2回ではない。数え切れないほど間違える。そのたびに人々は嘲笑し批判する。だが、彼らはあきらめない。失敗から学ぶ。学び続けて最後は自分の目標に到達してしまうのだ。
失敗しない最善の方法は、何もしないことだ。しかし、人生というのは何かをすることなんだ。失敗しない人たちは、間違えないかわりに、自分の人生を持てないということなる。生きながら死んでいるようなものだ。
だから私はもっともっと間違える人間になりたい。無数に挑戦し、無数に失敗しよう。そのたびに人からあざ笑われよう。だけど、私は自分の人生を手に入れることができるはずだ。一度きりの大切な自分だけの人生を。