私は1970年生まれ。41歳である。来年6月に42歳になる。
私たちは、自分たちが考えている以上にロールモデルを必要とする。むしろ、私たちはロールモデルの奴隷とさえ言っていい。何歳になっても、自分にとってはそれは新しい体験だ。それが20歳であれ30歳であれ40歳であれ50歳であれ。「何歳は○○のように振る舞うべきだ」という既成観念が私たちの頭の中に詰め込まれていて、それに従えないとき、我々は不安を感じる。
若い人たちにはふんだんにロールモデルが用意されている。昔から小説・映画・ドラマの登場人物は圧倒的に若い人たちが多い。40歳を過ぎる頃には、急激にこうした文学的ロールモデルが少なくなる。
おそらくはこういうことなのだ。若い人たちはいろんな道を模索する。だが40歳になるころには、人々はある種の社会的な役割を受け入れて、社会の歯車として、単調な生活を送ることに慣れ切ってしまう。ドラマの登場人物にするには退屈すぎるのだ。だから、40歳以上の人たちのロールモデルとしては、いくつかの平凡なステレオタイプしか存在してこなかった。
だが時代が変わりつつある。人類にとって、物質的生産は大きな問題ではなくなりつつある。一方で知識が経済に占める付加価値が急激に上昇している。幸せをもたらすのはモノではなくライフスタイルになりつつある。こういう時代は、人々は一生を通じて学び続け、変わり続けることを強制されるようになる。
多くの人たちにとって、第一のロールモデルは自分の親だろう。私の父親はごく平凡なサラリーマンだった。働き者だったが、生活は単調そのもの。一日の激務にクタクタになって帰宅するとテレビをつけて漫然と眺めるだけの日々。サラリーマンというライフスタイルに憎悪を募らせるきっかけになったのは父のそんな生活を見たからだった。
私は父のようにはなりたくない。だから、私にはロールモデルが存在しない。40代をこれからどう生きるべきか指針は外部には存在しない。スティーブ・ジョブズがかつて言ったように、「自分の内なる心の声に従って生きる」しかないのだ。
私は、結婚していない。子供もいない。だからそんなわがままが言えるのだ、という人もいるだろう。子供を育てるのはたしかに大きな責任を伴うし、親からはライフスタイル上の自由を奪うだろう(特に日本において子供を育てるのが大変だ、というところはあるが)。
私自身は子供は実は結構好きだし、価値観を共有できる女性がいれば、これからでもまた結婚してもいいと思っている(実は私は以前、2年間ほど結婚していた。いろんな意味で残念な結婚生活だったし、いまはまだあまり話したくない。私の公開主義の唯一の例外だ)。そのとき自分のライフスタイルに与える影響についてはまだうまく推し量れない。ただ、結婚をそれほど型にはめて考えなくてもいいのではないか、とはちょっと思っている。
夫が妻を養わなければならないと考えなくてもいいのではないか。夫も妻も収入があれば、互いを支えればよいだろう。配偶者が一方がノマドのように彷徨っている「ノマド婚」なんていうのもアリではないか。
私は両親が離婚しているのだが、その経験からいうと、子供の立場からは一番嬉しいのは親が幸せな顔をしていることだ。両親が一緒にいるのが最高だけれども、もし、別れることでより幸せになれるのなら、子供はそれを受け入れる余地がある。固定観念に縛られて、歯を食いしばって教育費用を稼ぐ姿より、カネはなくても好きなことをやって笑っている親の後ろ姿を見るほうが、子供は幸せかもしれないのだ。
おそらく人生は我々が考えているよりずっと自由なものなのだ。自分の心の声に耳を傾けよう。自分の頭で考えよう。そして自分の行動に対しては責任を取ろう。うまく行けば、ラッキーだし、うまくいかなかったら、苦笑いしながら、別のやり方を試せばいい。
私にとって40代のロールモデルは存在しない。だから、私が自分で作ろう、と思う。私が、パイオニアだ。道なき道を切り開きながら進む。それをすべてインターネットに記録として残して行く。あとに続く人たちは、私の生き方で参考になる部分があれば、大いに真似すればいい。そうやってこの世界は少しだけ変わり、少しだけ多様にそして豊かになっていくのだろう。